都会の誘惑に負ける学生
「学生」という存在は、何かを学んでいる立場です。学生でいることというのは将来の可能性を探る立場であることなのです。ただ、高校を卒業すると心身ともに解放されたように錯覚してしまうことがあります。
高校を卒業してからの進路というものはいくつかあります。そのまま働く道、そして誰もが考える「進学」という道です。進学すればまだ働かなくて済みます。さらに何年間か、自分の道を探ることができます。自分が何をしたいのか、自分が何をできるのか、考えることができるのです。ですから、「将来なにを仕事にしたいのかわからない」という人でもとりあえず進学を考えるものなのです。
進学することで「学生」で居続けることができます。学生でいるということは「まだ社会には出なくてもいい」ということですから、結果として「モラトリアム」になってしまっているのです。それにわる「甘え」というものはどうしても生じるものですし、ただそれまでは制服を着て学校に通っていたのに、突然社会のことを考えることもできない、かといってもう「子ども」でもないという立場になり、大人顔負けに「楽しむ」ということを行うことになるのです。特に「大学」に通う期間は4年間と長いものです。大学での生活というものはその後の人生においても大切な記憶として残ることになるでしょう。だから、後悔などしたくないものですし、自分が「やりたい」と思ったことはなんでも実行したいと考えるものです。
大学を選ぶ際、住まいとは関係のない選び方をするものです。そして、こちらが「選ぶ」ということを行ったとしても、その希望通りになるかというとそういうわけでもなく、「大学入試」という人生で一番勉強する時期を経由することになります。大学入試は全国入り乱れて志望校への入学をかけて戦うもので、それまで学んできたことに対する集大成を発揮する場でもあります。高校までは自分の住まいから通える範囲で考えたものですが、大学はそうではないのです。高校卒業とともに実家を離れ、学校の近くに住居を移して新しい生活を始めるという人がたくさんいます。
その結果東京に上京して、そこでの学生生活を始める人も大勢います。そこで出会うのはそれまで自分が住んでいた「地域」の人たちだけに限られていたコミュニティの「爆発」です。自分と同じように上京してきた人、もともと東京に暮らしている人など、さまざまな人と出会うことになるのです。「学生生活」のもっとも「花」となる部分、社会的に責任はないのに、考えることと肉体は大人として成長しているのです。
そのような「楽しい時期」に、さまざまな誘惑がある「東京」に出てくることで、人が変わったように遊び始める人もいます。それまではマジメな学生であったのに、まるで人が変わったように交友関係を広げ、まるで人が変わったように散財しはじめる人がいます。親元を離れている、自分の責任で、自分の時間を過ごすということがそのような隙を産んでしまうのかもしれません。