田舎と都会で物価の違いがあるか
都会と田舎を比べるときに思い描くのは、その「物価」の差です。都会は物価が高く、田舎は安いのではないかという妄信です。ただ、それもイメージしているほどではありません。
実際大きく変わるのは「地価」くらいのものです。現在ではさまざまなものが全国に流通しています。また、「通販」などの仕組みも十分発達しています。そのような中で「地方と都市部での物価の違い」を作る方が難しいのです。ただ、人口密度による「土地の価値」は圧倒的に差がつきます。その部分が一番の違いといっていいでしょう。
実際に足を運んでみればわかると思います。土地が違っても、コンビニなどで売っているモノは変わらないということ、そしてそれらの商品の値段も変わらないということがわかるでしょう。「物価」という言葉は現代では地域単位で差がつくようなものではなく、実際は為替やその時の経済状況に左右されるものであるということです。田舎であれば「モノが安い」ということはないのですが、ただ同じ収入で田舎と都会それぞれで暮らす場合、明らかに「経済的なゆとり」に差が出ることは確実です。
それは「住居」にかかる費用が、圧倒的に差がつくからです。都心からバスを用いて3時間ほどでたどり着けるとある田舎の街では、おおよその家賃は都心の半分にまで下がります。それが毎月かさんでくるわけですから、都会での暮らしというものがどれだけ大変かということがわかるというものです。都心では8万円するアパートが、田舎ではその半分、差額の4万円は、その他のことに使えるということです。それがどれだけ貴重な蓄えになるのかということは、あえて記すまでもないことでしょう。
物価は変わらなくても、土地代が変わるだけで住環境、経済環境は大きく変わるのです。月々にかかる費用が違うだけで、毎月の家計が大きく変わるのです。それを考えれば、「物価」が同じであっても、暮らしやすさという点においては大きな差が出るというものです。
それでは都会では「田舎の倍」、あるいはそれ以上かかる住居費に対してそれだけの「価値」があるのかどうかというと、それもまたわからない点です。その費用をかけるだけの価値は、自分で見出すしかないということが本当のところです。ただ都会だから高いだけで、人が多いから相対的に値段が高騰しているだけです。そこにその金額分だけの絶対的な価値などはありません。そのようなものを期待しても、何も出てはこないのです。
わざわざ費用がかかる都会に、物見遊山気分で暮らすことは避けた方がいいのでしょう。そこに「目的」があって、成すべきことがあって、「それを達成するための上京」であることが大切です。そうでないのであれば、ただ生き続けるために苦労をすることになります。寝床を確保するために苦労をし続けることになるのです。そのようなことになってしまってはなんのために日々の活動があるのか、わからなくなってしまうというものです。