田舎が嫌だった理由とは

どうして上京しようと思ったのでしょうか。どうして大都会の東京に身を移そうと考えたのでしょうか。その理由はいったいなんだったのか、今現在どうしてであるのか、自覚しているでしょうか。

地方、特に田舎に住んでいた人は言います。「田舎が嫌だった」と。それはなぜなのか、考えてみたことがあるでしょうか。その「田舎」に対する嫌悪感は、上京したことで解消されたのでしょうか。ティーンエイジャーのころは、ただ理由もなく田舎が嫌になってしまうものです。自分が育った、自分を育ててくれたありがたい土地であるにも関わらず、慣れてしまっているからこそ、そのようなことを思ってしまうものなのです。そして、「大人」になるにつれてその「ふるさと」のよさ、それまで見ようともしていなかったその土地の良さを知ることになるのです。

それはただ、その土地を離れなければ得られなかった郷愁かもしれません。「ふるさと」だと思えるから、自分の「ふるさと」は別にあると思えるから、東京の厳しい環境でも頑張れるということもあるでしょう。若い頃には見えなかった「ふるさと」の良さ、成長してはじめて気がつくふるさとの良さ、そのようなものが確実にあるのではないでしょうか。

そして大切なことは「田舎が嫌だったから上京した」という人が、上京後に本当に自分の希望を叶えることができたのかということです。「東京」に対してどのようなイメージを持っていたのだとしても、それは「上辺」だけのものです。そのイメージが東京のどこでも適用されるかというと、そういうわけではありません。雑誌やテレビで知っていた「東京」に、本当に自分が入っていくことができるのかどうかということです。

都心に暮らすためには相応のコストが必要です。都心で生きていくためには相応の覚悟が必要です。学生で、生活費を援助してくれる保護者がいるのであればいいのですが、社会人として自立する際、若いころにはあんなに憧れた「都心」での暮らしが、経済的な重荷になってしまうことだってあるのです。経済的に「暮らすこと」自体が重荷になってしまった場合、どこにも救いがないため、精神的にも追い詰められることになります。

その時には「ふるさと」に帰りたいという甘えた心も湧いてしまうかもしれません。田舎が嫌で上京した人であれば、それを誰に言ったのではないにしても、どうにもムシの良いハナシではないでしょうか。忌み嫌っていたふるさと、忌み嫌っていた土地に戻れば、とりあえずは生きていくことができるということです。とりあえずは何も気にせずに生活することができるということです。

ただ、田舎が嫌で上京したのであれば、上京するほど憧れた都会なのであれば、とりあえずそこで生活の基盤を作り上げるという「気概」は持っていてほしいものです。都会には人があふれていて、さまざまな産業が溢れています。仕事など、いくらでも見つけられるはずなのです。