地元を軽視しないこと
「その土地」には、その土地に息づく人々がいるものです。「その土地」には、「その土地」ならではの特色というものがあるのです。それは地形的なものが起因したり、気候的なものが起因したりしているでしょう。
日本が東京をはじめとした「都会」だけで成立していると思うのは大間違いです。日本という国は、国境内のすべての土地、国籍を持ったすべての人で成立している国なのです。その現実を軽視して、「都会にいればすべてわかる、都会が日本の中心だ」などと考えるのは、「自らの愚を晒す」ようなものです。自分が生まれ育った土地も、まだ行ったことがない見知らぬ地方も、すべての場所で、すべての人が、自分の生活を成立せるために働いています。働くということは社会に参画するということです。社会に参画するということは、「経済」の循環に参画するということです。経済は停滞してはいけないものです。お金が巡ることは国にとっては、「血が通う」ようなものです。そのような「社会」、社会を成立させる「経済」は、実は地方が動かしているということを忘れてはいけません。
東京にはさまざまな会社があります。さまざまな商社もあります。中には経済を左右する大手企業もあるでしょう。そこで働ければ、自分の裁量ひとつで経済を大きく動かすことだってできるかもしれません。ですが、それが「偉い」のかというとそういうわけではないのです。それが偉いのではなく、それは「ただの役割のひとつ」であり、そのような役割を持った人と、その采配を受けて実際に仕事をする人、それぞれの立場があるというだけなのです。それは「立場」の違いであって、仕事に対する充足感、仕事の重要さすべてにおいて「平等」です。
そして、それらの「司令塔」になりえる企業だけが東京にあるのかというとそういうわけでもありません。東京には人が溢れています。それらの人がすべてそのような大企業に勤めているわけではありません。むしろ、都会であるが故にそのような企業に勤めるのも大変なほどです。
都会の選民意識のようなものは唾棄すべきものです。都会でどのような仕事に就いたとしても、そのような意識を持つのは間違いです。都会でどのような意識を持って、何を目指してもいいのですが、それは「仕事」上の問題だということを忘れてはいけません。一歩会社を出れば、人は平等なのです。収入の違いはあるにしても、どのような人であっても等しく物事を考え、生きる権利があるのです。
「地方を軽視しない」ということは、そのようなことを大前提に据えれば「当然」のことです。地方に暮らす人から見れば、狭い都会でひしめいて生きている人こそが滑稽なのかもしれません。都会が正しいことはなく、地方が正しいこともなく、それぞれの場所でそれぞれの生き方をしているだけなのですから、何も差別する必要はないのです。どこにも差別する必要はないのです。人と、その人の暮らしを考えること、それは大切なことなのです。