新しい生活の基盤をつくること
それまで暮らしていた場所から離れて、新しい生活の拠点を新天地に求めるということは並大抵のことではありません。それまでの暮らしが、どれだけ色あせて見えていたとしても、経済的に新しく自立することはとても難しいものです。
進学に伴って上京する人は、決して忘れてはいけません。「自立するまで自分は養われている」ということを、です。また、親に頼らず奨学金を得、さらにはアルバイトをしながら生計を立てているような人はすでに痛感していることでしょう。「生きるだけで大変だ」ということを。
養われている間は決して理解することができないもの、養われている間は決して実感が得られないもの、それが「稼ぐ大変さ」です。待っていればだれかが仕事を用意してくれるわけではないのです。待っていれば誰かが、その人の特性を活かした「生き方」を用意してくれるわけではないのです。自分の生き方、自分の稼ぎ方は自分で決める必要があり、自分の仕事は自分で勝ち取る必要があるのです。
世の中には、どれだけ頑張ってもどのような仕事も得られない人がいます。どれだけ努力しても絶対にたどり着くことができない仕事があります。どんな努力をしても、どんなにいい学歴を持っていたとしても、「コイツは使えない」と判断されると雇ってもらえないのです。
雇ってもらえないのであれば「独立」してみようと、考える人もいるでしょう。中には学生のうちから「起業」して、そのまま大企業にまで発展させたような人もいるでしょう。ただ、時代の流れというものは怖いもので、そのような一過性のブームのようなものが一部の起業を躍進させ、すぐに凋落させるということもあるのです。時代が起業を必要以上に一気に伸ばし、時代がそれを一気に叩き落すということがあります。しかし、それも「ごく一部」の人が経験できることです。社会人経験のない人が起業したところで、その行く末は見えているのです。誰もそのような「素人」が起こした会社に投資しませんし、取引もしたくないものです。
自立して生きるためには、相応の知識とスキルが必要です。それは特化したものではなくて、「社会」で生きるための常識のようなものです。そのような「知識」と「スキル」は「経験」によってのみ得られるものでもあります。そのような「経験」は、誰もが働きはじめてからじっくりと学んでいくものなのです。それは先輩や上司の背中を見て感銘を受けたり、あるいは反面教師にして学んだりするものでしょう。
どれだけ賢くても、計算だけで語り尽くせないのが「社会」です。計算ですべてが予測できるのであれば、どのような人も億万長者になっているでしょう。ただ、実際はそうではありません。
「働く」ということは人として生きていくための「基本」でもあります。基本であり、もっとも真剣に考えなくてはいけないことなのです。どのような仕事でどのような立場で、何をするにしても、まずは自立して生きるということを完遂するのが上京した身にとっては大前提なのです。