なんのために上京したのか

「上京」という言葉は、ものすごく「可能性」を感じさせる言葉です。可能性を感じるということは「良い」こととして一般的に認識されている言葉なのです。

大都会の東京に出ることで「夢」を叶える。自分のしたいことをする、就きたい仕事に就く。そのようなことはとても華やかなことで、何かの目標に向かって突き進むことはとても有意義なことで、素晴らしいこと。そのようなイメージが一般的に持たれていると思います。

ただ、実際は毎日そこで暮らしていくことが必要で、毎日そこで生きていく必要があるのです。「暮らす」というのは楽しいこともあれば、「嫌」なこともあります。その場所で日々生活すること、その場所で日々生きていくこと、そのような「リアル」と、「理想」の帳尻を合せる必要があるのです。生きていくということはさまざまなことを「経験」するということです。学生であればやがて独り立ちして自分で稼いだお金で暮らしていくことが必要になります。そのような生活に対しての「基盤」を持つことも、上京した人が背負う宿命です。

何か目的を持って上京したのであれば、それを実現するために行動することが必要です。ただ、ある程度のお金を稼いでなんとなく生きていくということも人は可能です。そのようなこともできるにはできるのですが、ただそのままなんとなく流されるだけで歳を重ねていくというのはなんとも、「もったいない」ことだとは感じないでしょうか。

特に「学生」として上京したのであれば、その「学生」でいられる期間というのは限られています。その限られた時間をただ「遊び呆ける学生」として過ごすのか、「自分のやりたいこと、将来のために努力する学生」として過ごすのか、その違いを考える必要があるのではないでしょうか。

「生きる」ことはそのようなさまざまなことを「考える」ことでもあるのです。上京して、その暮らしに馴れた頃に考えることはまさに「自分はなんのためにここに来たのか」ということです。「仕事」で転勤してきたのであれば、やることはわかりきっています。自分に課せられた責任をまっとうすることです。注意しなければいけないのは「学生」の身分です。

それまで我慢してきた学生生活を過ごしてきた人であればあるほど、東京の楽しさ、多様性に負けてしまうこともあるかもしれません。そのようなことでは意味がないのです。そのようなことでは「楽しい東京」を満喫するだけで、結果として何も残らなくなってしまうかもしれません。

大人になればなるほど、自分に対してそのような「指導」をしてくれる人が少なくなってくるものです。ですから、本当の意味で成長するためには如何に自分に対して厳しくなれるのかということでもあるのです。自分の将来を自分の責任で考えるために、自分は自分として生きていくために、見つめなければいけない現実と、自分が抱いていた理想があるはずなのです。それを見失ってしまうと、「ただ東京にいるだけ」ということになってしまうのです。