都会だからといって可能性が多いわけではない

上京するときに考えるのが、都会での「新たな可能性」です。確かに都会には人がたくさんいます。さまざまなカルチャーも渦巻いています。

ただ、盲目的に「都会だから夢がある」と考えるのは早計です。人がたくさんいるということはそれだけたくさんの人が自分の目的のために突き進んでいるということです。たくさんの人がいて、それぞれ自分の人生のためになすべきことがあるということです。そのような人に混じって自分も自分の可能性を追い求めることは、確かに意味がありそうと感じます。自分を助けてくれる人もいるかもしれません。そのように感じることも往々にしてあるでしょう。

ただ、実際は同じです。環境を変えても、本質は変わりません。

田舎で誰も理解者を得られないまま、少しずつ自分の道を歩んでいくのと、都会で同じカルチャーを好む人と出会い、意気投合しながら進めること、一見すると後者の方がいいのかもしれません。仲間ができ、その道を語り合うことができる相手が増えれば、自分がしたいこと、それまで信じていたことがブラッシュアップされるような気分にもなるでしょう。ただ、それは「気分」のハナシです。そのような「気がする」だけで、実際行うことは何も変わらないということです。

人と交わればそれだけ可能性が増える、人と接することで、それだけ可能性が増える。そのように考えるのはわかります。その道によっては、仲間がいないとどうしようもないこともあるかもしれません。ただ、「本質」は変えられないということです。例えば「音楽」の道に進みたい人が、「田舎ではいい音楽が作れない」と考えるのであればそれは間違いです。実際は、場所などは関係なく、「クオリティ」はその人の感性そのままを反映します。都会に行き、刺激を貰えば何か新しい可能性が得られるのではないかと考えるのもわかりますが、その道を歩むために精進していないのだとしたら、ただ環境を変えるだけで自分の才能が開花すると考えているのだとしたら、それは大きな誤りです。

才能と環境は関係がありません。また、「才能」は絶対的な数値で測れるものではなく、才能とは自分がそれを「続けることができるチカラ」でもあります。それを続けることができるから、その道のクオリティを上げることができるのです。それは、ある意味どこにいても追求することができることです。場所などは関係なく、どこでも続けることができることなのです。

自分が目をつぶっていたこと、面倒だからそれまで手がけなかったことが、「環境」や「住むところ」を変えれば開花すると考えているのであれば大きな誤りです。人の本質は住処では変わりません。環境や人間関係はあくまでも自分の生活を彩る一要素でしかないのです。自分を「変える」チカラはありません。変わりたいのであれば、それは自分の意志で変わるしかありません。「可能性」は都会にあるわけではないのです。自分の「意志」が生み出すものであるということです。